革命と反革命 2012 11 17

2012年11月17日の産経ニュース電子版には、このような記事があります。

「共産党の恐ろしさを知る男」

「習近平ほど、共産党の恐ろしさを骨の髄まで知っている人間はいない」
 きっかけは、副首相まで務めた父親の習仲勲氏が、
1960年代に党内の権力闘争に敗れ、投獄されたことだった。
 文化大革命当時、多くの知識青年たちは、
農村に下放され、肉体労働に従事させられた。
習氏も1969年1月、陝西省の寒村、延川県梁家河に送られている。
 下放青年の数は1700万人にのぼったが、そのほとんどは18歳以上。
15歳だった習氏が下放されたのは異例中の異例と言えた。
父親の失脚が関係していたことは想像に難くない。
(中略)
 農村生活に順応していった習氏だったが、
18歳になって共産党への入党資格を得たとき、
党の執拗さを思い知らされる出来事が起きた。
 反革命分子に指定されていた父親が原因で、
延川県の党委員会が、習氏の入党申請書を10回以上も拒否したのだ。
ひどく落ち込んだ習氏は窯洞にこもる日々が続いたという。
 しかし、村の若手党員と党の下部組織、共産主義青年団員たちが県に直訴。
そのとき、新任の県党委員会書記が「父親の事件は子供と関係ない」と決断して、
入党を認めていなかったら、習近平総書記が誕生することはなかっただろう。
 1989年の天安門事件の際、仲勲氏は民主化運動に同情的な立場をとったため、
最高実力者のケ小平氏の不評を買い、失脚こそ免れたが党中央から実質追放された。
(引用、以上)
 習近平総書記が、文化大革命や天安門事件について、
どのように思っているかは、わかりません。
いや、父のことをどのように思っているか。

班馬鳴 2010 10 30

 私の心に、いつも去来することは、
「政治風波」によって地位を失った政治家のことです。

 青山横北郭
 白水遶東城
 此地一為別
 孤蓬万里征
 浮雲遊子意
 落日故人情
 揮手自茲去
 蕭蕭班馬鳴 

 李白 「送友人」

街の北方に、青々とした山が横たわり、
東方には、夕陽を受けて、白く輝く川が流れている。
今、この地に別れを告げて、
一本のよもぎが、風で飛ばされていくように、
君は、遙か彼方へと旅立っていく。
ぽっかりと空に浮んでいる雲は、旅立つ君の心のようであり、
沈みかけている夕陽は、私の心を表わしているようでもある。
別れの悲しみを、馬のいななきが告げる。






































































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